一般社団法人
アクション・フォー・コリア・ユナイテッド

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「日本国籍保有者の帰還に向けた政治と民間の連携」オンラインセミナーを開催しました

2020/12/22

 11月28日に、元衆議院議員でNPO法人インターバンド理事の阪口直人氏をお招きし、オンラインセミナーを開催。当日は20名強が参加しました。
 川崎栄子代表は、中朝国境を訪問した際に阪口氏と出会い、北朝鮮の問題解決に非常に勉強熱心な姿に感銘を受けて以来、交流が続いており、今回のセミナーが実現しました。

 当日は、「帰還事業の検証と日本人の機構に向けた民間と政治の連携」というテーマで講演をいただきました。非常に重要な情報が多く、なるべく情報を省かずに記載します。

―元々はどのような仕事を?
・キヤノン勤務を経て、国連やNGO、日本政府の一員としてカンボジア、モザンビーク、ボスニア・ヘルツェゴビナなど紛争地域の平和構築に携わる。
・キヤノンの海外事業部にいた時、自分が担当していた地域で1989年6月の天安門事件、11月のベルリンの壁崩壊などが起こり、命懸けで自由や民主主義を求める人々の姿に強く心を動かされた。1992年に国連が史上初めて一国の暫定的な統治を行う国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)についてのニュースに接し、紛争地域の民主化、自由のための行動を応援したいとの思いで会社を辞めてカンボジアでの平和構築活動に飛び込む。
・赴任したカンボジアでは、山岳少数民族の村に住み込み、選挙を実施するための地域の責任者として活動する。
・現地での活動中に銃撃を受け死亡した中田厚仁さんとはルームメイトだった。「世の中に、誰かがやらなければならないことがあるとすれば、僕はその誰かになりたい」という中田さんの言葉が、北朝鮮帰国事業へ関わることになったきっかけ。

国連ボランティアとして活動していた当時の様子を共有する阪口さん

―帰還事業に関わるようになってから
・関わるきっかけは「帰還事業に対する疑問」・・・なぜ、資本主義の国から社会主義の国へ移民したのか。その疑問が解けなかった。そしてなぜ、この事業が25年続いたのか。日本へ帰ることができなかったのか。拉致問題に比べて関心が低いのか。こうした問いを政治の力で解決する方法はないかと考えていた。
・政治はベストを尽くしたのか。日本政府による棄民政策ではなかったのか。悲惨な結果に対して政府は検証と評価を行なっているのか。結論からいうと、行っていないのではと考える。
・今回は現地の日本国籍保有者の救済という視点に絞って考察。

―帰還事業及び北朝鮮の状況
・1958年に金日成が在日コリアンの帰還を歓迎する演説。1959年から日朝赤十字交渉が始まり、8月には「帰還を希望する在日朝鮮人とその配偶者およびその子、その他それに扶養されている者でともに帰国する者」を対象とした帰国に関する協定(通称カルカッタ協定)が制定される。
・在日コリアンは当時非常に苦しい社会状況下にあった(生活保護受給率も日本人に比べて格段に高い)。
・北朝鮮の内部事情:朝鮮戦争による国土荒廃。千里馬運動における労働力の不足。そして、社会主義、韓国に対する優位を内外に宣伝する目的があった。それを後押しするように、メディアが肯定的な北朝鮮報道を行う。
・1959年12月14日から1984年まで継続。約60万人の在日コリアンのうち93,440人が帰還(日本人妻1,931人を含む日本国籍保有者6,679人)した。
・その後、脱北して戻った人が日本に約200人。韓国に300~400人いる。
・帰国者は炭鉱、農村などでの重労働が中心。人権が保障されておらず、炭鉱での仕事は本当に命がけ。また、無償診療だが医療現場の状況は劣悪。

―帰還者の苦難
・帰還者は「朝鮮民主主義人民共和国の公民(北朝鮮国民)」と認められたが、階層への序列で、下層階層である動揺階層、もしくは敵対階層に序列される。
・日本から持参した各種電気製品、時計、衣類などを闇市で切り売りし、配給品よりはましな食料品等を調達。日本からの仕送りはまさに生命線であった。しかし、現地の人々の嫉妬を招き、摘発の対象になる可能性も。
・収容所体制の確立。国家保衛部が1973年に発足し、彼らの実績の対象として帰国者家庭への監視が強化される。

―帰国者や日本人妻の処遇改善と日朝交渉
・日朝関係打開のカードとして、帰国者や日本人妻の待遇が改善。
・議員外交によって、政府間外交の土台が作られた。38年ぶりに日本人妻の帰国が果たされた。本当に一部ではあるが、日本に短期間戻ってきた。しかし、多くの制限あり(高額の上納金など)。

―食糧難と脱北者の増加
・食糧難によって国民の1割を超える餓死者が発生。餓死する人は外で力尽きてなくなる。国民は最後まで食料を求め、餓死者を見ない日はなかったと川崎代表を初め多くの脱北者が語る。
・北朝鮮に残した家族が迫害を受ける可能性があり、その支援も十分ではなく生活、経済の様々な問題に直面した。

実際の北朝鮮の様子を説明する川崎代表

「政治が果たした役割と課題」について。

 1985年以降の帰還事業に関する国会の議事録を全て集めた。阪口氏自身の国会質疑を含め、国会と帰還事業の関りについて検証した。以下は国会質疑と答弁を元に作成。

―帰国者に対する政府の立場:日本の国籍法11条では、「自己の志望によって外国国籍を取得した時は日本の国籍を失う」「北朝鮮に帰った、北朝鮮の人と結婚しただけで失うことにはならない。13条「外国の国籍を有する者は法務大臣に届けることで日本の国籍を離脱することができる」(1985年、政府参考人)
・また、法務省は帰国した93,000余名の名簿は所有している。
・政府の立場としては、「拉致問題に集中しないと問題が解決できない(安倍官房長官)」と、あくまで拉致問題の解決が先決という立場。

―阪口氏自身の衆議院外務委員会(2014年5月)での質問「なぜ帰還事業の検証や評価をしないのか」
・「日本政府は帰還事業の実施主体ではなく、自分たちに責任はないとの立場。また、当時と今では社会状況が違うとして、検証を行うことには否定的な考え。当時、正確な情報を提供するために最善を尽くした形跡がない。正確な情報を提供できなかった本質的な原因は何か」という質問に対しても、「居住地選択の自由という国際通念に基づいて行った」とはぐらかしのような回答。

―ストックホルム合意とその履行のために
・「ストックホルム合意」の概要:2014年5月26日~28日行われた政府間協議で合意したもの。残留日本人、日本人配偶者、拉致被害者および行方不明者を含むすべての日本人に対する調査を包括的かつ全面的に実施。北朝鮮は7月4日、特別調査委員会の設置と調査開始を発表したのに対し、日本は北朝鮮への日本人の渡航自粛など人的往来の制限などの経済制裁を解除。
・2016年2月、北朝鮮による核実験と弾道ミサイルの発射で、日本政府が再び独自制裁を決定。北朝鮮は調査中止と特別調査委員会の解体を一方的に発表した。
・ストックホルム合意に対する立場は様々:「北朝鮮は調査もしていない」という日本政府の立場と「中間報告を日本が受け取り拒否した」という金丸信元副総理次男である金丸信吾氏の立場。また、脱北者の意見として「北朝鮮は日本人妻を返してもいいと提案したが、日本政府はまずは拉致問題の解決を」と拒否した、という川崎栄子氏。

―帰国に向けた政治と民間の連携は?
・国交のない国で政府にできることは限定的であり、当事者の声をベースにした議員外交で政府間交渉の環境を作ることが必要。
・北朝鮮側交渉窓口の宋日昊氏は党内序列(当時61位)を考えても実権がない。
・当事者の声をベースにした議員外交で政府間交渉の環境を作ることが必要→金丸元副総理、村山元総理の訪朝、日本人妻帰国促進議員連盟は一定の成果。

―その一つとしてのアントニオ猪木元参議院議員の訪朝と活動。その実際は?
・積極的な議員外交を展開していた。北朝鮮では権力とつながる糸口がないと先には進まない。本音を探り、入れ知恵をするなど、政府にはできない交渉が可能なのが議員外交。
・プロレスの師匠であった力道山の娘がスポーツ大臣だった縁で北朝鮮において38万人を集客した平和の祭典(1995年)をきっかけに、猪木議員は30回以上訪朝していた。政府間交渉につなげるため、スポーツ外交を切り口に金永南最高人民会議常任委員長(党内序列2位)姜錫柱元副首相(党内序列3位)などと会談を重ね政府間協議に向けた信頼関係情勢に努力。
・人道問題として日本人妻の救済を拉致問題の解決とセットで行うべきという立場。国会でも再三質問したが安倍政権は黙殺。北朝鮮渡航自体を批判する世論。
学者や専門家だけではなく、一般の人の関心を喚起することが重要。映画や小説スポーツ、音楽なども有効な手段。民意を動かし成果につなげるための民間と政治の連携が必要。

―質疑応答
Q:日本において、北朝鮮の人権問題、強制収容所などの問題について国際社会とのどのように連携していったら良いか?
A:北朝鮮は161カ国と国交がある。日本が経済制裁をしたところで、他の国からの投資や貿易は可能。日本は国際社会とも協力し、北朝鮮のレアアースや鉄鉱石など世界でも最高レベルの品質を持つ地下資源の共同開発をするなど、北朝鮮の発展に寄与し、日本国民の理解も得られるような協力関係を構築することが交渉を行う上でも有効な手段になると考える。


Q:話の中で、93,340人の名簿を政府が持っている、という内容があったが、その名前が明らかにされている、もしくはどこかに行ったら閲覧できるということはあるか?
A:国会答弁によれば出国者の名簿は法務省が全て管理している。北朝鮮側も帰還者について完全に把握している。拉致被害者の横田めぐみさんのように具体的な名前やそれぞれの人生について詳細が分かれば、国民感情に訴える力が強くなる。我々と同じ個人の問題ということを国民に知ってもらうことで、帰還事業に関する関心を高めることができるのでは。

Q:アントニオ猪木議員の外交において、どの程度の話を北朝鮮の政府と行ったのか。
A:阪口と一緒に行った時は当時党内序列3位の姜錫柱元副首相と3回にわたって会談した。核兵器について質問した際は、「北朝鮮の核の存在が米国による攻撃の抑止力になり、日本を含む北東アジアの平和に貢献している」との考えだった。阪口はこの考えに賛同しないが、このことを含め北朝鮮側の本音もかなり聞くことができたと思う。ストックホルム合意の直後でもあり、私たちはその確実な履行をまずは求める立場だったので、批判はあえて封印した。猪木議員は「北朝鮮の幹部とパイプがある自分をもっと使って欲しい」との考えを強く持っている。議員外交の役割のひとつは政府間交渉に繋ぐ突破口を作ることであり、相手の考え方、行間にある本音を知ること。私たちが行った時は、スポーツ外交とセットで相互信頼を深めることも大きな目的だった。日本政府による拉致問題への取り組みは行き詰っており、日本人全体の人道問題としての新たなアプローチの可能性を探る議員外交には大きな意味があったと思う。

と言った内容が議論されました。