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【コリアンドリームタイムズの記事紹介】伽耶歴史の中で発見した文明の交流の痕跡

2021/05/28

韓国語原文
https://www.kdtimes.kr/news/view.php?no=1271

大伽耶古墳内部の様子

伽耶騎馬武者模型物

 

 2021春季コリアンドリーム歴史紀行は成功裏に終了した。今回の紀行は、「伽耶の歴史と文化、古代日本との交流を理解する」をテーマに、3月26日から2泊3日の日程で行われた。コリアンドリーム歴史財団(準備)が主催し、グローバル平和思想研究所が主管した。

 これまで、伽耶の歴史は忘れられた歴史にも等しかった。私たちの民族歴史の一部を占めているのだが、新羅に服属して消えた国というイメージが強くあった。実際に伽耶の歴史は、高句麗、百済、新羅の歴史に比べて、知られていることがそれほど多くない。そのため、今回の歴史紀行参加者にとって、伽耶歴史紀行は新鮮な面があったように思われる。

 初日の紀行は、慶南高麗大伽耶博物館から始まって、大伽耶古墳群、高天原公園、昌寧非火伽耶松峴洞古墳訪問と続いた。大伽耶博物館と古墳群で見た数多くの遺物は、伽耶時代の燦爛とした文化を現わしていた。洗練された土器や装身具、鉄製兵仗器、殉葬の風習などが特に印象深かった。展示された遺物は、今日でもそのまま再現するのが難しいほど精巧に見えた。
 三国時代の古墳では、発見が困難な殉葬の現場を目撃して衝撃を受けた。伽耶の人々の葬儀の風習からは、来世に対する渇望が感じられた。それと同時に、支配と被支配という明確な階層社会の様子も確認することができた。

 大伽耶遺跡地で特に印象深かったことの一つは、伽耶大学校の中にあった高天原公園である。高天原公園は、朝鮮半島と日本を結ぶ人的・文化的交流の根源地である。韓国と日本の歴史学者たちの中には、古代韓国と日本が交流していた根源地域を伽耶と考えて、昔の伽耶の地の中で該当する地域に記念碑を彫像したという。伽耶から渡った朝鮮半島の人々は、古代日本人により発達した文化と文明を伝授する人たちだった。
 そして、このような事実を後世に伝えるために、神話の形で記録を残した。当時の日本の先住民たちには、朝鮮半島の伽耶地域が金銀財宝が充満した理想郷のように見えたかもしれない。

 今回の歴史紀行で解説を担当したグローバル平和思想研究所の尹政河代表は、北東アジア地域の建国神話に必ず登場する天孫降臨神話について紹介し、そのあらすじは各地域ごとに大きな違いがないと説明した。
 また、檀君神話と同様に伽耶の建国神話と日本の建国神話も天孫降臨神話の流れを帯びていると語った。天孫降臨神話は、天の神が地上に息子を送り、地上の女性と婚姻して子孫を生み、その子孫が国を建国して統治するという内容だ。
 天孫降臨神話につながる共通点を見ると、その時代の人々が海を渡って互いに活発に交流していたことを知ることができる。特に朝鮮半島の優れた文化が日本に伝播し、古代日本の文明を開花するのに大きな助けになったと思われる。

 2日目は、咸安博物館と末伊山古墳群を訪問した。咸安伽耶歴史博物館では、広開土大王碑の模型物を発見した。その広開土大王碑の碑文には、阿羅伽倻に対する記録が残っていた。これは、一部の日本の歴史学者によって任那日本府説(日本大和政権が4世紀後半に、伽耶地方に「任那日本府」を設置し、約200年間、朝鮮半島の南部を支配していたという説)の根拠として使用されたと言う。
 任那日本府説は、伽耶時代、日本が朝鮮半島南部を占領して植民地にしたと主張する内容だ。日本の学者たちは、この学説を裏付けるために阿羅伽倻地域の古墳を盗掘して、証拠を探すために努力した。しかし、日本の学者たちが伽耶古墳を発掘すればするほど、彼らの主張を裏付ける証拠は出ず、むしろその反対の証拠だけが出たという。

 歴史紀行の一行は、続いて伽耶が始まった本拠地、金海に向かった。金海は金首露王が伽耶を立てたところである。金首露王が立てた金官伽耶は初期伽耶の中心地で、金首露王の誕生神話とインド王女・許黄玉の痕跡が残っていた。また、大成洞古墳群と金首露王陵、亀旨峰に至る踏査で、インドと伽耶間にあったと推測される交流の痕跡を見つけることができた。
 もちろん、インドの王女・許黄玉が金首露王と結婚して子孫を生んだという話は、歴史的事実として証明されてはいない。しかし、これは、その当時も、はるか遠くにある国と海上で交通し貿易をして暮らしていたことを示唆する内容である。

 3日目は、釜山福泉洞古墳群をはじめ、福泉博物館を観覧し、浦項を訪問して延烏郎細烏女テーマパークを踏査した。延烏郎細烏女の説話は三国遺事に出てくる。新羅人の延烏と細烏が日本に渡ると、新羅の太陽と月が光を失ったが、細烏の絹で祭祀を行うと、再び光が戻ったという内容である。延烏郎細烏女の説話は、かつて我が民族が日本の地を開拓して統治者となり、お互いに往来した文化的交流を象徴的に示したものである。

 2泊3日の「コリアンドリーム歴史紀行」は、遠い昔、私たちの祖先が隣国と交流して文明を開花させた足跡を訪ねる旅として、意味があった。さらに他国を侵略したり征服することなく、平和に生き、優れた文化を伝播して隣国の文明を開花させるのに助けとなった博愛主義の精神が、韓民族の足跡の中に残っていることを知ることができた。

 私は、こうした我が民族のアイデンティティが、古朝鮮を立てた檀君の建国理念である弘益人間の精神にあると見た。私たちは、「広く人間と世界を利せよ」という目標で韓民族のアイデンティティを形成し、文化を通じて実現してきた。
 そして、弘益人間の精神の中に内在している理想国家と世界に対する韓民族の熱望と念願は、今や、「コリアンドリーム」として形象化されている。今回の伽耶歴史紀行は、普遍的人類価値に通じる弘益人間の精神が、私たちの歴史の中で如何に実現されているかを体験することができる意義深い時間だった。

 ※コリアンドリームタイムズは、韓国GPF財団(ソ・インテク編集人)が発行するオンライン新聞