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北朝鮮が平和的統一を目指す前に

2019/10/04

 前出のオピニオン記事で、13世紀末の『三國遺事』に登場する“弘益人間”(意味:人間を広く利する)の実現が朝鮮民族が古来からの使命であり、朝鮮半島の平和的統一を牽引する指導的ビジョンになり得ることを紹介しました。この目標的視点から現在の朝鮮半島を見ると、どうしても克服しなければならない重大な課題があることが分かります。それが北朝鮮の人権問題です。


 1945年、「基本的人権と人間の尊厳及び価値」の信念をもって国際連合が設立されました。1948年、世界人権宣言が国連総会で採択され、その宣言を基礎として、国際人権規約が1966年採択、1976年に発効されました。北朝鮮は1981年、この国際人権規約を批准しました。「市民的及び政治的権利に関する国際規約」には、拷問、残虐な取扱い・刑罰の禁止(第7条)、奴隷及び強制労働の禁止(第8条)、被告人、受刑者、身体を拘束された者に対する人道的取扱い(第10条)、居住移転の自由、出国の自由、自由に戻る権利(第12条)等が謳われています。これらの人権の遵守を誓った北朝鮮は果たして国民の自由と権利を守ってきたのでしょうか?

 金日成を指導者として1948年に独立した北朝鮮は、1967年、朝鮮労働党中央委員会総会において党の「唯一思想体系」を採択後、首領・金日成の思想以外は存在しないことを強調するようになりました。1970年の党大会で「主体思想」が唯一の思想であることを宣言。1972年末に北朝鮮の社会主義憲法が制定され、「マルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用した朝鮮労働党の主体思想」と、主体思想が党の指導指針であることが憲法の中で明文化されました。
 1974年に入ると金正日が金日成の後継者として内定し、金正日は「党中央」と呼ばれました。同年4月には朝鮮労働党は「党の唯一思想体系確立の10大原則」を制定し、金日成への絶対的な忠誠と服従を命じました。金正日は10大原則は憲法や党規約を超える最高規範と位置付け、金日成の神格化を確固たるものにしたのです。北朝鮮の本質を理解するために、長い文章ではありますが、あえて10大原則を紹介します。

党の唯一思想体系確立の10大原則:
第1条 偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化するために身を捧げて闘うべきである。
第2条 偉大な首領金日成同志を忠誠をもって仰ぎ奉じるべきである。
第3条 偉大な首領金日成同志の権威を絶対化するべきである。
第4条 偉大な首領金日成同志の革命思想を信念とし、首領の教示を信条化するべきである。
第5条 偉大な首領金日成同志の教示を執行するにおいて、無条件性の原則を徹底して守るべきである。
第6条 偉大な首領金日成同志を中心とする全党の思想意志的統一と革命的団結を強化するべきである。
第7条 偉大な首領金日成同志に学び、共産主義的風貌と革命的活動方法、人民的活動作風を持つべきである。
第8条 偉大な首領金日成同志から授かった政治的生命を大切に守り、首領の大きな政治的信任と配慮に対して高い政治的自覚と技術による忠誠をもって報いるべきである。
第9条 偉大な首領金日成同志の唯一的領導のもとに、全党、全国家、全軍が一つとなって動く、強い組織規律を打ち立てるべきである。
 第10条 偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を、代を継いで最後まで継承し完成するべきである。

 この10大原則は憲法を超える最高規範なので、言論、出版、集会や信仰等の自由が憲法で謳われていたとしても、金日成の思想や教示への無条件の服従が優先されれば、自由は完全にはく奪された状態に陥ります。10大原則の制定によって、絶対的な権力が金日成個人に賦与される独裁体制が確立し、北朝鮮国家全体が鉄の檻で囲われてしまったのです。
 2011年末に最高指導者となった金正恩の下、2013年に現行の「党の唯一領導体制確立の10大原則」に改訂されました。父親の金正日が聖なる主体として加えられ、金正恩は「党」「領導者」と位置付け、金日成-金正日-金正恩3代の独裁体制の戒律としたのです。2016年、朝鮮労働党大会で「党を領導する最高指導者の職名を朝鮮労働党委員長」とすることが採択され、金正恩は初代委員長に就任しました。改定された「党の唯一領導体制確立の10大原則」を見てみましょう。

党の唯一領導体制確立の10大原則:
第1条 全社会を金日成・金正日主義化するために命をささげて闘争するべきである。
第2条 偉大な金日成同志と金正日同志を我が党と人民の永遠の首領、主体の太陽として高く奉じるべきである。
第3条 偉大な金日成同志と金正日同志の権威、党の権威を絶対化し、決死擁護すべきである。
第4条 偉大な金日成同志と金正日同志の革命思想とその具現である党の路線と政策で徹底的に武装すべきである。
第5条 偉大な金日成同志と金正日同志の遺訓、党の路線と方針貫徹で無条件性の原則を徹底的に守るべきである。
第6条 領導者を中心とする全党の思想意志的統一と革命的団結をあらゆる面から強化すべきである。
第7条 偉大な金日成同志と金正日同志に倣い、高尚な精神道徳的風貌と革命的事業方法、人民的事業作風を備えるべきである。
第8条 党と首領が抱かせてくれた政治的生命を大切に刻み、党の信任と配慮に高い政治的自覚と事業実績で応えるべきである。
第9条 党の唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一つとなって動く強い組織規律を打ち立てるべきである。
第10条 偉大な金日成同志が開拓し、金日成同志と金正日同志が導いて来た主体革命偉業、先軍革命偉業を代を継いで最後まで継承・完成すべきである。

 北朝鮮では「10大原則」を徹底的に人々に強いているので、基本的な人権が無残にも蹂躙され、筆舌に尽くしがたい悲劇が展開しています。東京大学の小川晴久名誉教授は、著書『北朝鮮いまだ存在する強制収容所』(草思社)の中で、ユダヤ人思想家・ハンナ・アーレントが全体主義の指標とした一党独裁・秘密警察・強制収容所の三位一体が、唯一思想の登場によって残忍な形で今日まで続いていると警鐘を鳴らし、強制収容所の撤廃運動を長年行っています。強制収容所の信じがたい非人道性は、脱北した収容所体験者の手記や証言に生々しく描写されています。

 ある証言によると、政治犯の家族が収容される革命化区域では、家族単位で土でできた小屋に住まわされ、用便に必要な紙も与えられず、食事は一日一人350グラムのトウモロコシ米で、極度の栄養失調から病気にかかるものが多く、ミミズやトカゲ、カエルなどを食べないと数カ月で死亡する環境だったといいます。保衛員たちは囚人たちを殴って服従させ、子どもまでも強制労働に駆り出させ、班でノルマを達成できなければ連座制で達成するまで全員を残し、囚人が死んでも墓ではなく地中に埋め、平地にするとのことです。囚人同士の性行為は処罰される一方、保衛員は若い女囚人を性奴隷として凌辱し、脱獄を試みたり、規則を破れば見せしめとして公開処刑される、まさに地獄絵図の様相です。1980年代には20もの強制収容所に20~25万人が収容されていたといいます。

 唯一思想体系・領導体系の絶対性を乱す者や、その容疑者が密告されれば反革命分子として三代にわたって血縁連座制で処罰されます。政治犯本人と血縁関係があるものは家族ぐるみで収容所に送られます。家族に対しては正式な裁判もなく、刑期も明示されず、文通・面会も一切許されない隔離された収容所に連れていかれるのです。政治犯を収容する強制収容所には、数年の刑期で出所可能な革命化区域と、出所不可能な完全統制区域がありますが、どちらも非人道的な劣悪な環境であることには変わりありません。悲しいことに、この強制収容所の恐怖のシステムが、絶対的に神格化された金一族の体制維持装置として機能していて、これまで多くの独裁国家で発生したような一般大衆の反政府運動や軍部の革命などの芽を潰しているのです。北朝鮮は、1991年国連に加盟し、他国と国交樹立するため外交的努力をしてきただけに、強制収容所を始めとする多くの人権問題は知られたくない“弱み”となってきました。
 国連人権委員会(UNCHR)は、2003年から、「北朝鮮人権状況」決議を3年連続で採択し、2005年国連総会でも同決議を採択。以後、毎年のように北朝鮮の人権状況の改善を勧告しましたが、北朝鮮は対応せず、2013年に国連人権理事会は北朝鮮の人権に関する「調査委員会」を設立し、翌年2014年、調査結果を発表しました。思想・表現・宗教の自由の侵害、移動・居住の自由の侵害、食料の権利・生存権の権利の侵害、恣意拘禁・拷問・処刑及び収容所による人権侵害などを厳しく指摘して、広範囲に「人道に対する罪」が続いていることを糾弾しました。4カ所の大規模政治犯収容所に8~12万人の政治犯が拘束されていることも報告されました。「国民を恐怖でねじふせようとする国家」「国民を脅し屈服させる究極の手段は、公開処刑や政治犯収容所による強制失踪である」として、「政治犯収容所の完全解体」を含め人権状況の改善を強く訴えました。

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会の報告書(2014年2月)


 2016年脱北した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』(文藝春秋)には、北朝鮮が人権問題の“弱み”を欧米に追及されないように画策してきたやり取りが述べられています。

 2001年5月、EU議長国だったスウェーデンのヨーラン・パーション首相が北朝鮮を訪問。太永浩氏は同首相の送別昼食会に通訳として同席しました。そこでパーション首相が議題になかった人権問題を金正日に突然持ち出し、「核問題がたとえ解決しても、人権問題が残る限り、北朝鮮が国際社会の一員になるのは難しい」と人権問題解決の重要性を訴えたのでした。同首相は「北朝鮮が人権の分野で国際社会と協力するほうが、長期的に見てもむしろ得になる」と助言もしたところ、金正日は、「人権についての話し合いはできないこともない。やろう。ただわれわれと西洋は人権の社会政治的な概念からして違うため、簡単に合意できないだろう。対話や意思の疎通で違いを減らしていけば、人権問題も最終的に解決できる。対話には快く応じよう」と、パーション首相を喜ばせたのでした。

 ところが、昼食会が終わると金正日は外務トップの姜錫柱(カン・ソクチュ)に言いました。「パーション首相に人権問題に関するEUとの対話を約束した。その外交をどうやって長引かせるか研究しろ。ヨーロッパが人権問題をめぐる対話を求めるのは、結局、北朝鮮の内部をえぐろうということで、決して認めることはできない。人権は国権だ。かといって対話に応じなければ、ヨーロッパは意地を張るかもしれない。ヨーロッパとの関係をうまく維持してこそ米国の強硬保守派も抑え込める。そこでヨーロッパをうまく騙して逃れる対策を研究しなければならない。米国との対話を通して米朝枠組み合意を引き出せたからこそ、危機をかわし、ここまで持ちこたえられたのだ。人権問題も、国際社会をうまく言いくるめて切り抜ける方向でアプローチしてみるのだ」。

 この金正日の指示を受けた北朝鮮外務省は、「北朝鮮は人権の概念からして違う。だから互いの人権に対する概念をまず整理しながら、一歩ずつ進める」とEU側に提案し、人権専門家養成のための交流を主張して、対話の進展を遅らせ、時間稼ぎをすることを決定しました。しかし、このような遅延戦術だけでは長期的には無理があることから、外国人に見せるための裁判所、刑務所、囚人を準備することも提案。欧米諸国が連合して人権問題の追及するようになれば、核実験などの強硬措置を取って、視線を核問題に向けさせ、米国にやむを得ず「先に核、後で人権」というやり方に変えさせ、核で人権問題を覆い隠す方法案を外務省が編み出し、金正日はそれを受け入れたと、太永浩氏は述べています。

 北朝鮮は2003年核拡散防止条約(NPT)から脱退し、2006年初めて地下核実験を実施。以降、ミサイル発射実験を続け、国際社会に脅威を与えてきました。核兵器の開発・保有やミサイル発射実験が金日成の遺志に基づく政権維持と国威発揚を目的としているだけではなく、国際社会が人権問題を後回しするために欺罔してきたことを忘れてはいけません。国際社会は北朝鮮が知られたくない“弱み”の存在を指摘し続け、奴隷社会を維持させる恐怖の装置「強制収容所」の撤廃を、人権状況改善の指標として徹底追及しないといけません。
 自分の家族が強制収容所で毎日暴力におびえながらミミズを食べ、動物のように生きていることを想像してみてください。そのような悲惨な施設を一日でも早く廃止させ、家族を解放させる行動に出るのが至極当然といえます。北朝鮮が基本的人権をしっかりと保障する自由民主主義に移行することによって、弘益人間の理想を目指す平和的統一実現の可能性が高まるのです。(文責・事務局)

強制収容所の悲惨な体験を紹介した著書