一般社団法人
アクション・フォー・コリア・ユナイテッド

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お知らせ

「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト 発足式を開催しました

2021/12/26

12月13日、14日の2日間にわたり、新潟市で「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト 発足式行事を開催しました。本行事は、新ボトナム会、NGOモドゥモイジャ、(一社)アクション・フォー・コリア・ユナイテッド、(一社)グローバル・ピース・ファウンデーション・ジャパン(以下、GPFジャパン) が共催し、ヒュー マン・ライツ・ウォッチ東京オフィス、北朝鮮帰還事業裁判原告弁護団、ワン・コリア・ファウンデーション(米国) の後援で行われました。1959年12月14日に始まった北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業により、在日コリアンとその家族約93,340人(日本人妻1,831人と日本国籍保持者6,839人を含む)が北朝鮮に渡りました。1959年11月7日に第一次船で北朝鮮へ渡った人々と協力者が日朝親善の記念としてボトナム(朝鮮語で「柳の木」の意味)306本を新潟県に寄贈して植栽した通りが通称「ボトナム通り」です。在日コリアンたちは日本での差別や貧困を逃れようとして、「地上の楽園」という言葉を信じ北朝鮮に渡ったものの、北朝鮮では最下層身分として差別され、最低限の生命、自由、人権さえ保障されない過酷な生活が強いられました。今日、日本においては、北朝鮮による拉致問題や日本政府の取り組みへの関心が高まる一方で、北朝鮮“北送・帰還・帰国”事業に関する記憶は薄まり、北へ渡った人々の存在が忘れ去られています。9万人を超える壮大な規模の事業の結果、甚大な悲劇をもたらした歴史的な事実は「ボトナム通り」に記されることはありませんでした。また、当初306本あった柳の木は約80本までに減ってしまいました。この事業がもたらした過酷な事実を見つめ直し、あらゆる人が生まれながらに持つ人権の大切さを心に刻む場として「ボトナム通り」を位置づけ直し、新しい意味の下で柳の木を補植していく「ボトナム通り」リニューアルプロジェク […]

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モンゴリア・ワンコリア国際フォーラムを開催しました

2021/12/23

 モンゴリア・ワンコリア国際フォーラムは、朝鮮半島とモンゴルの地政学的環境を探求し、新たな機会を求め、北東アジア地域の持続可能な平和発展と、自由で統一された朝鮮半島に向けたロードマップを模索する場として、 モンゴルの首都ウランバートルにて毎年開催して来ました。主催団体は以下の通りです。Action for Korea UnitedBlue BannerGlobal Peace FoundationOne Korea FoundationMongolian Forum for Korean Unification 今回のフォーラムはコロナ禍の影響で、オンラインにて世界から著名な専門家、政治家、ジャーナリスト及び市民社会指導者など57名が参加しました。10月26日から28日まで、1.オープニングフォーラム2.北東アジア平和発展3.統一朝鮮半島のための構想4.北東アジア非核兵器地帯構想及び北朝鮮非核化のための主要国の役割5.統一コリアのための北東アジア経済統合6.北東アジア平和発展のための青年のリーダーシップ の6つのセッションにより開催されました。 オープニングでは各国を代表した意見が交わされ、ポンサルマーギーン・オチルバト元モンゴル大統領は、「地理的位置の次元で朝鮮半島の統一問題は地域的・世界的平和安全保障に関連する世界的な問題でもある」とし、「北東アジアで朝鮮半島問題は最も激動的で複数の議論を引き起こしているが、時間が経つとともに韓国の若者たちが統一に対する熱望が冷えている」と指摘しました。彼はこのような膠着状態を解決するためには、「政治的対話とは別に、経済と社会的課題を結合させる新しい解決策を提案する必要がある。ハードパワーとソフトパワーを一つにまとめなければならない」と提案しました。 グレゴリー・メイ・駐モンゴル米国大使館公館次長は、「モンゴルが朝鮮半島の平和安定を追求 […]

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「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト発足行事~北朝鮮“北送・帰還・帰国”事業に学ぶ人権の大切さ~のご案内

2021/12/10

 1959年12月14日から始まった在日コリアンの北朝鮮“北送・帰還・帰国”事業により、約93,340人の在日コリアン(うち日本人妻約1,800人、日本国籍保持者約6,800人含む)が新潟港から北朝鮮へ渡りました。 北朝鮮は「地上の楽園」という言葉を信じ、日本での差別や貧困を逃れて行った北朝鮮は、生命、自由、人権が保障されない過酷なところでした。 1959年11月7日、第一次船で北朝鮮へ渡った人々と協力者が日朝親善の記念としてボトナム(朝鮮語で「柳の木」の意味)306本を新潟県に寄贈して植栽した通りが通称「ボトナム通り」です。甚大な被害をもたらした事業の意味を顧みることはなく、柳の木の多くはなくなりました。 川崎栄子AKUJapan代表理事は1960年、この事業により単身で北朝鮮に渡り、2003年に脱北するまで、自由と人権が侵害された生活を強いられました。今年10月14日、脱北して日本で暮らす男女4人とともに北朝鮮政府に損害賠償を求めた裁判が東京地方裁判所で開かれ、国内外の数多くのメディアがその内容を報じました。“北送・帰還・帰国”事業について国際社会が注目する中、あらゆる人々がもっている人権の大切さを心に刻み、このような悲劇を二度と繰り返さないことを誓う「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトを発足してまいります。 つきましては、下記のとおり、12月13日(月)、当プロジェクト発足に至る経緯と意義を語るフォーラムと記者会見、懇親会をアートホテル新潟駅前にて開催いたします。また、“北送・帰還・帰国”事業62周年を迎える12月14日(火)、犠牲者を追悼する式典を新潟中央埠頭で行います。皆様の各行事へのご参加を心よりお待ちしております。 各行事のご参加のお申し込みは、お名前、会社名、電話番号をご記入し、ご参加希望の行事名を事務局Eメールアドレス(budnam1107@gmail […]

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11月28日(日)に、人権の大切さを見つめる「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトに関するオンラインセミナーを開催します

2021/11/17

 1959年12月14日から始まった在日コリアンの北朝鮮北送(帰還・帰国)事業により、約93,340人の在日コリアン(うち日本人妻約1,800人、日本国籍保持者約6,800人含む)が新潟港から北朝鮮へ渡りました。北朝鮮は「地上の楽園」という言葉を信じ、日本での差別や貧困を逃れて行った北朝鮮は、生命、自由、人権が保障されない過酷な場所でした。 1959年11月7日、第一次船で渡った北送者と協力者が日朝親善の記念としてボトナム(朝鮮語で「柳の木」の意味)306本を新潟県に寄贈して植栽した通りが通称「ボトナム通り」であります。甚大な被害をもたらした事業の意味を顧みることはなく、柳の木の多くはなくなりました。  川崎栄子AKUJapan代表理事は1960年、この事業により単身で北朝鮮に渡り、2003年に脱北するまで、自由と人権が侵害された生活を強いられました。今年10月14日、脱北して日本で暮らす男女4人とともに北朝鮮政府に損害賠償を求めた裁判が東京地方裁判所で開かれ、国内外の数多くのメディアがその内容を報じました。この北送事業について国際社会が注目する中、同事業62周年を迎える12月14日、あらゆる人々がもっている人権の大切さを心に刻む「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトを正式に始動させます。 今回のセミナーでは、下記のように川崎栄子代表がその経緯とプロジェクトの意義について語ります。  日時:11月28日(日)午後7時~8時30分(Zoomを利用します。15分前より入室していただけます)テーマ:人権の大切さを見つめる「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト講師:川崎栄子代表理事参加申込:下記申込フォームからお申し込みください(参加無料)     https://ws.formzu.net/dist/S23900722/

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「北東アジアの架け橋としてのコリアンと民間交流」というテーマで講演会を開催しました

2021/10/10

 9月25日(土)に、早稲田大学教授の李エリア氏をお招きし、「北東アジアの架け橋としてのコリアンと民間交流」というテーマで講演会を開催しました。  李エリア氏は早稲田大学の日米研究所に2018年から所属。民主平和統一諮問会議の海外常任委員や在外韓人学会の副会長も務めておられます。  当日話された多くの内容より、抜粋した内容となります。 ―中央アジア、極東地域の北朝鮮労働者について■世界のコリアンディアスポラは750万人いると言われる。そのうちアジア地域のコリアンは中国の朝鮮族、日本の在日コリアン、中央アジアの高麗人、極東地域の高麗人、ロシアサハリンの韓人、などがいる。 ■ソ連崩壊後の中央アジアにコリアンの研究をしてきた。2014年から沿海州、ロシア全体の北朝鮮労働者の実態調査を行なってきた。■北朝鮮労働者の専門家として、2018年、ジョンズホプキンス大学で講演会をしたことがある。■日本留学時にソ連研究をしようとしていたが、まもなくソ連が崩壊。当時の唯一の在日の友人宅に会った「在ソ朝鮮人のペレストロイカ」という本を読み、ソ連には50万人以上のコリアンが住んでおり、かつ、過酷な強制移住をしたと知る。■1937年、日本のスパイに利用される恐れがある、として17万人のコリアンが沿海州から中央アジアに強制移住させられる。■途中のいくつかの場所で定着。土を掘ってそこで暮らし、生き延びる。■ソ連時代には子供の教育に力を入れ、124民族のうち、ユダヤ人に続く大学進学率であった。■崩壊後、1990年代半ば、ソ連ウズベキスタンで自民族中心主義政策に被害を受けた高麗人が沿海州地域に移住をする。ソ連ではロシア語で通用していたが、ウズベキスタンでウズベク語政策が行われた結果、ソ連地域の沿海州に移住。しかし、ソ連国民としての身分証明書がなかったので、保険や年金、教育などを受けることができなかった、とい […]

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