オンラインセミナー「脱北YouTuberキムが語る北朝鮮」を開催しました(全3回のうち2回目)
2023/02/01
前回に引き続き、キム・ヨセフさんのオンラインセミナーの講演内容を掲載しています。前回は「苦難の行軍」の中、家族の死別を経験されたところまでを紹介しました。■必死に働き、必死に生きた10代その後、僕は祖父母の家に戻り、山に行って薪を集めて売ったり、あるいは山の方に行って小さな畑を作って農事をやるなり、薬草を掘って売るなり、もうとにかく何かできることは全てやるような、それが10代の僕でした。 秋になると収穫を終えた畑に行き、見落とした作物を拾って集めたり、川にいって砂から砂金を集めたり、もうそういう十代なので、小学校3年くらいまでは通いましたが、それ以降は学校に行けませんでした。北朝鮮は中学と高校が一緒になっていますが、高校も行くことができずに、ずっと働くという生活で10代を送っていました。 ■亡くなったと思っていた父が送ってきた脱北ブローカー18歳になった時、あるブローカーが僕のところに来て、父から頼まれてきたと言いました。そして「自分たちと一緒に行けば父にも会えるし、こんな生活はもうやらなくていいよ」という話をしました。 僕の10代は、毎日働かないといけないような毎日だったので、もう少し遊びたい時もあったし、子どもとしてやりたいことが全くできないような毎日だったので、当時、もし今のこの飽きた生活から離れて、何か別の生活ができるのであれば、一度そういうことをやってみたいというのもありました。また、その時まで、父もどこかで亡くなったものと僕は思っていました。それで父が本当に生きてるかどうかも確認したいというのがあって、その時に、ブローカーと一緒に行くことにしました。それが1回目の脱北だったのですが、その時は2003年の冬でした。ブローカーと一緒に国境の地域まで行くことに成功して、自分が住んでいた地域と離れたのも、初めてでした。子どもの頃に平壌に一回行ったことがありましたが、それ […]